
【事務局インタビュー#3】 正しさは社会が決める、美しさは自分が決める|代表理事 二瓶雄太|ASIBA
ASIBA学生サポーターの角田です。今回のインタビューでは、一般社団法人ASIBAの大黒柱であり、先頭に立って組織をリードしていくASIBA代表理事の二瓶雄太さんにお話を伺いました。クリエイティブアントレプレナーという言葉に秘めた思いや独自のリーダー観について深く掘り下げます。
足し算を超えて、多層化する
── 一般社団法人としてASIBAを設立させてから約2年ほど経過しましたが、設立当初と現在を比べて、最も自信を持ってここがASIBAとして成長したと言えるものはなんですか?
二瓶: ASIBA自体ができることが本当に増えたなと思います。それはASIBAのプラットフォームに蓄積されてきた肥沃なリソースやネットワークのおかげです。僕個人として1人で活動していたら得られなかったものだなと思います。例えば大企業や自治体との関係性は、小さなきっかけから始めて、少しずつ着実に実績を積んできたから得られたもの。最初の案件がうまくできたから、次もお願いしますとか、来期からも一緒にやっていきましょう、という好循環が、2年経って初めてちゃんと形になってきています。今やっているプロジェクトは、2年前の自分には想像できなかった部分ですね。
── 逆に何を思い描いてASIBAをスタートさせたのでしょう?
二瓶: 当初は8、9個の個別のプロジェクトがあって、それらを一緒に伸ばしたいっていう話から始まりました。例えば、企業からスポンサーをもらうとしても、各自でやっているときはひとつひとつのプロジェクトに対してスポンサーフィーをもらう形でしたが、集まってプラットフォームとして強くなっていくことで、より多くのことができるんじゃないか、より継続的になるんじゃないかと考えました。そういう意味では、当時はインキュベーションプログラムだけでしたが、今はデザインスタジオがあってワークショップがあって、自治体連携があって、片や空きビルの拠点開発。プラットフォームとして多層化してきたなと感じます。

正しさは社会が決める、美しさは自分が決める
── それは自分から望んでやりたいと思ってやっているのか、色々な要因が重なってなぜか今それをやれているという状況になっているのか、どちらなのでしょうか?
二瓶: まさにそれは「問いと実践の往復」だと思ってて、例えばインキュベーションプログラムだったら、集まって教え合えばプロジェクトが大きくなるかな、というのが最初の素朴な仮説でした。実際にやってみると、当たり前ですがインキュベーションプログラムを経済的に支えてくれるパートナーが必要だったり、あるいはお金ではなくて場所が必要で自治体さん、デベロッパー、ゼネコンと組まなければいけなかったり、当初想像していなかったいろんなものが必要でした。パートナーとの関係性についても、はじめは「清水建設賞」っていういわゆるアワードの形でした。これは、インキュベーションプログラムの方法論として他の会社や団体を参照していて、企業賞を作るとお金が取りやすいんだと思って最初はやっていたんですが、1回やってみるともっといい関係性が結べるはずだというのが自分たちの中で見えてきて。こういった変化や改善は、やればやるほど見えてくるものが増えていって自分たちも変わっていくし、事業自体もよりいい方向に修正されていきますね。
── 次の仮説を立てるとしたら何でしょう?
二瓶: 次の仮説はたくさんありますが、一番大きな仮説自体は変わっていなくて。「クリエイティブ・アントレプレナー」が成立するのかどうかという仮説ですね。一番最初に始めた時は、「建築学生」という主題が大きかったんです。「建築学生のビジョンが社会を変えるんだ」といった言葉がキャッチコピーでした。でも、僕らが「建築学生」と呼んでいる像が、実は建築学部にいる学生のことじゃないということに気づいたんです。当時の僕らの中には、共通したターゲットの学生像があって、多分それは自分たちみたいな人たちだったんですよね。今やっていることってあっているんだっけとか、なんかこうやったらもうちょっとよくなるんじゃないっけみたいな、小さくてもいいから何かしらの疑問や違和感を社会に対して持っている人で、かつそれを社会に接続したいという欲求を持っている人のことを指していました。この両輪を持っている人を「建築学生」だと思っていたんですが、蓋を開けてみたらいろんな種類の人がいて。建築学生の中にももちろんそういう人たちはいるけど、建築学科でなくてもそういうことをやっている人たちはたくさんいて。いまはそういった人たちに新たな名前をつけて、「クリエイティブ・アントレプレナー(クリアン)」と呼んでいます。 また、当時は「ビジョン」という言葉をよく使っていたのですが、最近はあんまり使っていません。なぜかというと、自分の感覚や自分の問いから離れたビジョンには何の意味もないと思っているからです。色々賛否はあると思いますが、未来のビジョンは割と誰でも作れるし、なんならAIの方がよっぽど上手く作れると思うんです。全部シミュレーションして未来洞察をして、その中で未来はこう変わるべきだ、と。人間ができることは、それよりもむしろ自分の中にある何かを形にしていくこととか、それが正しくなくても形にしたいんだっていうものすごくわがままな欲望を持つことだと思うんです。星野源さんがラジオで言ってた、「正しさは社会が決める、美しさは自分が決める」っていう言葉があって、すごい好きなんです。正論を叩き出すことはそんなに難しくないと思うんです。社会はこうあるべきですよねとか、これは社会課題なので解決しなければいけないですよねみたいなことを言うのは簡単で。べき論とか正しさを超えて、でも僕の生活はこうなって欲しいなとか、自分が持っている美学みたいなものにこそ、人間としての価値があるのかなと。 伊藤計劃さんの本で『ハーモニー』というものがあるんですが、世界観としては悪口をいうことも許されず、病気になることも許されない。超クリーンな社会で、とても安全で、とても管理されていて悪いものが蔓延る隙がない社会だけど、そもそも悪いものって何だっけということを考えることを忘れてしまう、忘れさせられてしまう。ハーモニーはSFではなくて、剥き出しのリアルなリアリズムだと思います。均質化していく社会の中で、そうではない道を取れるのがクリエイターやアントレプレナーだと思うし、そういう人が生きていけない社会はとても貧しいなと思います。『ハーモニー』の世界観みたいな未来には行きたくないなと思うんです。
何万人の誰かではなく、ただひとりの自分にぶっ刺さるものを
── たくさん語っていただきありがとうございます。これらを踏まえた上で、ASIBAイズムを表すとしたらどんな言葉になりますか?
二瓶: 僕にとってのASIBAイズムは、「N=1」です。よくスタートアップをする時って、大きな市場を狙えって言われるんですよ。マーケットインという言葉もありますが、これから成長するであろう分野に飛び込めということです。だからたいていのピッチ資料では、何兆円規模の市場でこれだけの売り上げが見込めますといったアピールの仕方をするんです。つまりN=10000とか100000とか規模が大きければ大きいほど良いとされている。だけど、そこで僕が思うのは、みんなが「いいね」って言う最大公約数的なものは、得てして自分は別にそこまで惚れてるわけじゃないことがよくあるなと。例えば、建築学生に何か図書館・美術館を設計してくださいみたいなことを言うと、体裁は整えられて大義名分もあるものを作ってくるんですが、そこで本当に今日から勉強したいと思いますかとか本当にそこで過ごしたいですかという質問をすると、答えに詰まるんです。 だから、ASIBAのインキュベーションでの僕の口癖は、そのプロダクトは自分が使ってみたいの?って。みんなすごいかっこいいこと言うし、綺麗なもの作るし、確かに10000人が欲しくなるようなプロダクトを作っているけど、自分のために作って欲しいんです。何万人もいるかもしれない「誰か」のために作るものではなく、ただひとり「自分」にしか刺さらないかもしれないけれど、自分は一生使い続けるだろうって思うものを作ることのほうが、よっぽど大事なんじゃないかなと思っています。 しかも、実はそういうモノの方が社会に対して強いインパクトがあるかもなとすら思っているんですよね。自分が本気で欲しいって思って作ったものって、それ以外にも10人くらい欲しい人はいると思うんです。ビジョンとしては面白いとか、べき論として面白いものはたくさんあると思うんだけど、結局自分がそれを使っていないんだったら誰がそれを作るんだろうっていうのはずっと思っていて。だったら自分の中にある、もしかしたら誰も興味ないかもしれないものに目を向けて欲しいんです。そういう小さな問いに対して刺さるものから始めるべきなんじゃないかなと。それが問いと実践を往復するという意味で、N=1から始めることでもあると思います。 そうやって生まれたN=1を少しずつ社会に接続することももちろん大事で。N=1から始めることと、それを社会に届けていくことの両輪を回していくことが、ASIBAの根幹にある思想だなと。どっちかだけを持っている人はたくさんいるからこそ、両輪を回せる人がいたらおもしろいんじゃないかと思っています。
── 二瓶さんが知っている人で両輪を回せているなと言う人はいるんですか?
二瓶: 僕とか。

── なるほど(苦笑)
二瓶: 今回のインキュベーションではN=1から始める人たちをたくさん採用していて。実際、N=1から初めて、社会接続に繋げるっていうステップで考えているって言うのが今のプログラムのあり方で。それでいうと、まだ両輪回せている人は少ないですね。それはインキュベーション側の責任というか。そこを接続まで持っていくことが我々の仕事だと思っています。
アーティストの接続の方法
── 今回からアーティストもインキュベーションの対象に入っていますが、アーティストが社会接続するという景色が私の中で想像できなくて、そこはどうお考えでしょうか?
二瓶: ベースライン、これは結構人による話ですよね。全員がそうありたいとは全く思っていないし。たまたま僕と同じフェーズにいる人たちがいるならその人たちを助けてあげたいと思うし、そのような人たちが活躍する未来になったら面白いんじゃないかって思っています。あらゆるアーティストがそうであるべきとは考えていないし、なれないとも思う。それでも、アーティストに対してよく思うことは、自分が立っている構造そのものに対して目を背けないで欲しいなと。彼らは彼ら自身を切り離すのがとても上手で、「ピュア」にキャンバスの中に、額縁の中に作品をと閉じ込める、あるいはホワイトキューブの中に飛び込んで自分のものを落とし込む。でも、変な具体例ですが、例えばホワイトキューブがあったとして、そのオーナーが毎年払っている固定資産税とか、そこに来る人たちはどういう生活をしているのか、アートが成り立っている、あるいは自分自身のその問いを考えるという行為が成り立っている大元の構造とかを考えて欲しいんです。
何か作品を作るという行為自体はものすごく歪みを作る行為だと思っていて、なぜなら数多ある生産行為の中で、ある意味もっとも非生産的なことをあえて選んでやっているというものすごく美しい行為だから。それって、社会における一般的な流れに対して、抵抗することだと思います。生産しなければいけない流れに対して、いやそうじゃないんじゃないかって歪ませて、捻じ曲げて。何か唸った先で採れた果実が必ずそこにはあって、それはいろんなものを捻じ曲げて初めて生まれる美しさを内包していると思うんです。元になっている構造は例えば、美術教育だったり、芸術界の中でのコンペ・評価の仕組みだったりするんですが、そこで自分の制作活動を支えている基盤みたいなものが、金とか人とか場所とか、あるいはもう少し理念的なところで、自分が美しいと思えるものの枠組みも、何かしら歪んで構築されているはずなんです。往々にしてシステムはかなり強烈な、例えば評価システムが組み込まれていて、その上に乗っかって作るのはいいんですが、そのシステムを俯瞰から全体で見ることで、初めてシステム自体を変えることができないかとか、そのシステムそのものを制作することができるんじゃないかっていうふうに考えてほしいなあと。
建築を例にするとわかりやすくて。例えば、新建築に採用されそうなかっこいい作品って、お金持ちの20個目の別荘として建てていることとかが多くて。それはそれとして、本当にいい作品を作れるんですかっていうのがめちゃシンプルな問いではあります。そうやってしか、今は作れないんですよね。だからASIBAはこの舞台や仕組みごと変えていこうぜというムーブメントの中心にいるつもりです。

プレイヤーであり続けることがプロデューサーの条件
── 理解できました、ありがとうございます。次に、ASIBAの代表としてリーダー論はありますか?
二瓶: 自分が一番、ASIBAで育てたいクリアンであろうと思って頑張ってはいます。プレイヤーであり続けること、ひいてはそれがコミュニティーマネージャーとしての最大の資質でもあると思います。少なくとも、ASIBAみたいなコミュニティにおいて、コミュニティを持続させるということ自体が目的になってはいけないと思っています。自分が誰よりもプレイヤーで、誰よりもそれを体現しているみたいな、そいつが走っているから俺も私も一緒に走りたいとか、そういう意味でコミュニティの中心にいるような人でありたいですね。
── マインドセットはそのような感じなのですね。そのために実践していることとかはありますか?
二瓶: これは僕だけじゃないけど、ほぼほぼ全員が自分のプロジェクトとASIBAの運営の両輪を回すみたいなことはやっぱり大事だなと思っています。クリエイターとプロデューサーを両立させることってとても難しいんだけれども、ASIBAにおいては、やっぱり自分自身がプレイヤーであることを諦めた途端に、信用がなくなると思うんです。繋ぐだけ繋いで、ASIBA自身の自我や意識はどこにあるんだとなってしまう。当事者意識を持って課題を探究して、ここから生まれるN=1を持つ人間がもっと輝ける場所があったらいいんじゃないかというところから全て始まっているから、その当事者意識を持ち続けることこそが、コミュニティや団体としてあらなければいけない姿勢だと思います。
── 自分が輝けないから場所を自分から作ったわけじゃないですか。どのような経験をされたんですか?
二瓶: 自分が書いた論文が「面白いじゃん」で終わってしまったことですかね。東大の建築史の教授である加藤先生の史学に触れて、心が震えるほど美しいと思ったんですよ。それだけ強い理論と強い思想を持っているのに、持っている武器と現行のシステムの制約の中ではリアルなものとしてそれを主張することができないのがすごい悔しくて。自分が書いているものも面白いなとは思うんだけど、面白いだけで終わってしまう。この時に感じた悔しさは間違いなく自分の原体験ですね。
── 森原さんとは解体の研究会で出会ったとお聞きしました。そこからどのようにASIBAの立ち上げにつながったのでしょうか?
二瓶: 解体とか解築ってとても理論的である一方で社会的でもある話で、外に出ないと何もわからないよねというのが僕たち2人の共通認識でした。実装する、スタートアップを作る、社会制度を変えていく、こういうところまで辿り着かないと結局、歴史学の得意な理論構築で終わってしまう。それが嫌だったのもありますね。ASIBAを立ち上げようと決意して、出会って1ヶ月か2ヶ月でインキュベーションプログラム1期をスタートさせましたね。

ASIBAの名前に秘めた思い
── ASIBA(Architecture Studio for Impact Based Action)という名前はどこから来たんですか?
二瓶: 確か、名前を決めなければいけない締め切りを考え始めてから二日とかしかなくて。結局僕の言葉遊びで決めましたね。後半のインパクト・ベースド・アクションは、当時参考にしていた馬田先生という東大のスタートアップの教授の言葉からインスピレーションを受けました。
── とてもいい名前だと思っています。個人的な感想ですが、二瓶さんは思いを言葉にするのがとても上手だと思っていて、それはどのようなところで獲得してきたと思われますか?
二瓶: 昔から、相手に合わせるのはめちゃくちゃ得意で。良くも悪くも、相手が欲しいものをキャッチするアンテナが人の五倍くらいは大きい自信があります。この人はこれを欲しているんだろうな、この言葉が今欲しいんだろうなということが分かってしまうんです。営業においては、この能力があって良かったと思いますが、これを続けていると、自分のプロダクトが相手のためのものになってしまう。それはN=1じゃないじゃないですか。一番そこを勘違いされたくないからこそ、伝え方にはすごく気をつけていて、相手が欲しいものを直感的に感じとって自分の言葉でそれに合わせていくからこそ、伝え方が上手いと言ってくださるのかもしれないですね。
この直感のオリジンは、中学生の時にアメリカに行ったことだと思います。当時は英語も喋れない中で1人でその環境で生き延びなければいけなかったので、ノンバーバルな相手の仕草や感覚や表情を鋭くキャッチする術を身につけたんだと思います。
── 1期生、2期生と比べて3期生はどのような特徴がありますか?
二瓶: 社会との接点が見えづらいんだろうなというプロジェクトは結構ありますね。それは僕らがN=1よりの人を選んだだけじゃなくて、社会接続の方にフォーカスさせないように前半はUXを作っていたからですね。2期はかなりビジネスにしたいですみたいな人が多かったのと比較すると、すごい独創的な視点とかワークの人が多い印象です。
── ありがとうございました!最後にあ・し・ばであいうえお作文をお願いします!
二瓶: あなたなりの愛をもって、社会に飛び込んで、ばりおもろい明日へ!
